―― 彼を好きだって気持ちが大きすぎてこぼれ落ちそう (・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんて) うんざりするほどの乙女思考だと冷たく笑っていた私は・・・・一体どこへ行ったんだろう・・・・? Surrender 「はあ・・・・」 我ながら零れたため息の重さにアリス=リデルは少しへこんだ。 幸いにしてクローバーの塔の廊下に人影はなかったので、聞きとがめられることはなかったが。 そうでなかったら聞いた者が驚いてしまうだろう。 なにせ今のアリスはただの余所者ではなく、クローバーの塔の領主ナイトメアの補佐役(という名の世話係)兼友人(という名の・・・以下略)であり、そのナイトメアの腹心(という・・・以下略)の恋人だからだ。 クローバーの塔の中でも最も上位に位置する二人の重要な存在が重いため息など零していては、すわ、ナイトメアが倒れたか、とうとうグレイが切れて強制入院か、など無駄な憶測を呼びかねない。 ・・・・もっとも、それもまた日常茶飯事でもあるのだが。 一応捕捉しておくと、アリスのため息は生憎そのような日常茶飯事に関わるような事ではない。 というか、他の人間が聞いたらおそらく拍子抜けするだろう。 ナイトメアあたりなら「嫌がらせだっっっ!!」と声を大にして抗議してくるかも知れない。 けれど、アリス本人にとっては至って重大な問題だった。 「・・・・はあ・・・・・」 再びため息を零しつつアリスはクローバーの塔を歩く。 塔というより城といって差し支えないこの塔は、最初のうち随分アリスを惑わせてくれたが最近は滅多に道を間違うこともない。 まして、今アリスが目指している部屋ならなおさら。 (確かこの時間は休憩中だったはずよね。) 頭の中で思い描くのは黒いフロックコート姿の男の姿。 この世界において珍しく仕事熱心な彼はきちんと予定通りにスケジュールをこなしている事がほとんどだ。 (・・・・ナイトメアが逃げたりしてなければ、だけど。) 自分にとっても上司にあたる病弱夢魔はことごとくクローバーの塔の人間全ての予定を狂わしてくれるので、残念ながらグレイがスケジュール通りに動けない事も多々あるのだが。 (まあ、そんな騒ぎもそんな話も聞いてないからきっといるわよね。) そんなことをとりとめもなく考えながら石造りの廊下を歩く。 グレイとはここ3時間帯ほど顔を合わせていなかった。 時の狂ったこの世界でも目安というものはある。 それが昼夜夕と気まぐれに変わる時間帯なのだが、きまぐれなだけにその長さもまちまちだ。 お陰で1時間帯後の休憩、などと時間を区切ってみてもその1時間帯が異常に長いこともあったりする。 そして、残念ながら今回の3時間帯は妙に長かった。 (・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・) そう考えてアリスはしばし考える。 (・・・・長かった、と思うのよね。たぶん。) 実測はできない。 何分、時計が狂っているからだ。 けれど長かった感覚はある・・・・そう、感覚は。 (ち、違うわよ!?別にグレイと会えなかったから長かったとかそんなんじゃっ!!・・・・!?ていうか、私、誰に言い訳してるのよ!?) 思わずぶんぶんと首を振ってしまって、自分の行動に再びアリスは疲れたようにため息をついた。 ―― 最近、どうにもこういう事が多い。 たぶん以前にナイトメアに指摘されたように「今日はどこへデートに行こう」とか考え始めたあたりからのような気もする。 きっとそれまで恋人ごっこだった関係が、『遊ぶ』関係になって、それでもふれ合わなかった心が通じてしまったあたりから。 そのあたりから、どうにもこうにも。 (・・・・乙女思考) はあああ、とこの時間帯では最大のため息がこぼれ落ちた。 もはやため息をつくと幸せが逃げるだなんて俗説はとっくの昔に嘘だと証明されている。 (だいたいこんな行動自体が既に末期的よね。) 目の前に居ない人のことを考えて、ため息をついたり焦ったり、なんて恋愛小説の定番ではないか。 が、しかし。 それはあくまでも『末期的』。 実際、もっともっと『末期』だと思う事がある。 「・・・・・・・はあ」 もはや何度目か数えるのも面倒くさいため息を、ヘンゼルとグレーテルのパンくずのように廊下に落としてアリスは一つのドアの前で立ち止まった。 他の塔の部屋と大差ない扉。 でも、このドアはアリスにとって間違いなく特別なドアだ。 他のドアはいくらでもノック出来るけれど、このドアだけはちょっと緊張する。 なぜなら。 ・・・・トンットンッ 「どうぞ」 ノックに答えてくれる低めの声にアリスの鼓動が一つ跳ねた。 何よりもアリスの大好きな声。 そしてドアを開ければ、ふわっと感じる煙草の匂いと、扉から入ってきたアリスを確認して柔らかく笑う部屋の主。 「やはり君か。そろそろ休憩時間だろうから来るんじゃないかと思って待っていたんだ。」 吸っていた煙草を半ばで灰皿に押しつけてグレイはアリスを迎えるように立ち上がる。 「待っていた」という言葉が嘘じゃないとわかる優しい笑みを浮かべて。 (〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ) ―― ・・・・こういう時、『末期』だ、と思うのだ。 入り口に突っ立ったまま俯いてしまったアリスに驚いたのか、グレイが足早に近づいてきて言った。 「アリス?」 身長差が大きいから覗き込む形になる。 亜麻色の髪越しに戸惑ったように見つめてくる漆黒の瞳が見えてますますアリスは顔が上げられなくなった。 (〜〜どう考えても『末期』よ・・・・) ごっこではなく、恋人としてグレイに接してもらえるだけで。 様子がおかしいからと心配そうにされるだけで。 ・・・・グレイの存在を近くに感じるだけで。 ―― 好きだという気持ちが溢れそうになる 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜」 (どこの乙女よ!?どこの!?) 頭のどこかでまだ突っ込んでいる部分があるのが救いなのか、むしろ恥ずかしいのかもわからない。 けれど、まさに例えるならそうとしかいいようがない。 心臓がドキドキする音がうるさいことといったらないし、絶対に顔は赤いと言い切れる。 (そんなこと言い切れたってどうしようもないんだけど・・・・) いつもの癖で、感情をため息にのせて吐き出してしまった瞬間、アリスはしまったと思った。 一人だったならともかく今はばっちり見咎める人がいるのだ。 そして案の定、一瞬グレイが反応した気配がして、優しくだが有無を言わさない強さで顔を持ち上げられる。 「アリス、何かあったのか?」 「え・・っと」 いつもの穏やかそうな(部下に言わせるとそれはアリスの前限定らしいが)雰囲気が消え、彼の腕に装着されたナイフを思わせる冷たい空気に少し戸惑う。 しかしアリスが口ごもった事を悪い方へとったのか、グレイはすっと目を細めた。 獲物を捕捉する瞳。 冷たく見えるその瞳の奥にチリチリと危険な色が見え隠れする。 そんな瞳で。 「・・・・君を煩わせる奴がいるなら教えてくれ。俺の前で君を俯かせるような奴は殺しても飽き足らない。」 なんて言うから。 「〜〜〜〜〜〜〜〜グレイ!!」 「え?」 「ちょっと後ろ向いて!」 「え?は?な、なん・・・・」 「いいからっっっ!!!」 ハートの騎士をも上回る実力を持ちかつては荒れていたと自分でも言っているグレイがアリスの勢いに押されたと言うこともないのだろうが、グレイはとにかくアリスに背を向けてくれた。 その背中からはヒシヒシと何か聞きたそうな雰囲気が感じ取れるものの、アリスにはそれに構う余裕がなかった。 というより。 (〜〜〜〜口に出さないと、破裂しちゃう。) そっと向けられた背中に手を伸ばす。 いつも黒いコートの背中は妙に神妙に、きちんとアリスの言ったとおりにこちらを向いている。 そんな小さな事がこそばゆくなるほど嬉しくて、アリスはコートが皺にならないようにちょっとだけ握って、こつんっと額をつけた。 ―― 彼を好きだって気持ちが大きすぎてこぼれ落ちそう (・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんて) うんざりするほどの乙女思考。 ・・・・でも、それ以上の事だってしているくせに、アリスが額をつけただけで驚いたように揺れるこの人が。 「・・・・だいすき」 冷たく笑い飛ばしていた乙女思考に白旗をあげるぐらいに。。 〜 END 〜 |